ex:a1265

「水を渡りはじめた」

「水を渡りはじめた」

Page Type Example
Example ID a1265
Author 梶井基次郎
Piece 「交尾」
Reference 『梶井基次郎』
Pages in Reference 68

Text

私の眼の下にはこのとき一匹の雄[=河鹿蛙]がいた。そして彼もやはりその合唱の波のなかに漂いながら、ある間(ま)をおいては彼の喉を震わせていたのである。私は彼の相手がどこにいるのだろうかと捜して見た。流れを距(へだ)てて一尺ばかり離れた石の蔭(かげ)におとなしく控えている一匹がいる。どうもそれらしい。しばらく見ているうちに私はそれが雄の鳴くたびに『ゲ・ゲ』と満足気な声で受け答えをするのを発見した。そのうちに雄の声はだんだん冴えて来た。ひたむきに鳴くのが私の胸へも応(こた)えるほどになって来た。しばらくすると彼はまた突然に合唱のリズムを紊(みだ)しはじめた。鳴く間がたんだん迫って来たのである。もちろん雌は「ゲ・ゲ」とうなずいている。しかしこれは声の振わないせいか雄の熱情的なのに比べて少し呑気(のんき)に見える。しかし今に何事かなくてはならない。私はその時の来るのを待っていた。すると、案の定、雄はその烈(はげ)しい鳴き方をひたと鳴きやめたと思う間に、するすると石を下りてを渡りはじめた。このときその可憐(かれん)な風情ほど私を感動させたものはなかった。彼が水の上を雌に求め寄ってゆく、それは人間の子供が母親を見つけて甘え泣きに泣きながら駆け寄って行くときと少しも変ったことはない。「ギョ・ギョ・ギョ・ギョ」と鳴きながら泳いで行くのである。こんな一心にも可憐な求愛があるものだろうか。それには私はすっかりあてられてしまったのである。

Context Focus Standard Context
(浅瀬) を渡りはじめた

Rhetoric
Semantics

Source Relation Target Pattern
1 > 浅瀬 水>瀬

Grammar

Construction
Mapping Type

 

Lexical Slots Conceptual Domain

 

Preceding Morpheme Following Usage

Pragmatics

Category Effect
図地構成 (figure-ground organization) 川ではなく水に焦点が当てられることで、一匹の蛙が川をわたる様子を微視的に眺めているさまが伺える。

最終更新: 2024/01/26 12:13 (外部編集)