====== 暗示引用 (allusion) ====== |< 60% 30%>| ^ Page Type | Category | ^ Category ID | allusion | ^ Superordiantes | | ^ Synonyms | 隠引法 | ==Definition== 著名な原表現をそのまま引用するのではなく、それを連想する契機となるような言語表現を用意することにより、表面上の意味がひととおり通るようにしながら、同時にその裏に別の映像をフラッシュのように流す修辞技法。 暗示引用 (allusion) は、聞き手や読み手にとって既知と見なされた、故事・文章・演説・歴史的事件・ニュース・劇の台詞・慣用句などへ暗黙裡に言及する表現の手法である (菅野 2003) 。 例えば、朝日新聞の1993年6月24日のコラム「素粒子」には「吾が輩は新生党である。反省はまだない。過去をどう清算したらいいのか頓と見当がつかぬ。」とあるが、これは夏目漱石の『吾輩は猫である』の暗示引用である (中村 2007) 。 暗示引用は、以下の3つの特徴によって定義される。すなわち、暗示引用では - ある知識が多くの人に共有されていることが前提となって、 - 聞き手や読み手はその表現が引用であることが分かるが、 - 話し手や書き手はそれが引用であるとは明記しない。 ==Subordinate Categories== {{topic>category:allusion +index:category}} ==Features== ===暗示引用の対象の種類=== 暗示引用は、なんらかの歴史的、神話的、文学的事実の引用である(ガリペリン 1978)。野内 (1998, 2002) によれば、フォンタニエは引喩を「歴史的」「神話的」「道徳的=精神的」「字義的」の四種に分類している。暗示引用の背景となる知識としては、諺、演説、文学など、既知の言語表現であることが多いが、時事、社会、歴史などに関する一般的な言説が対象となることもある。具体的には、以下のような事柄が暗示引用の対象となる。 * 格言、諺、慣用句、成句、成語 * 故事、名言、名句、著名な作品、文章、発言 * 演説、劇、詩歌、俳句、小説、 * 周知の事件、ニュース、キャッチコピー、神話、物語、など 以下に、いくつか具体例を挙げる。 * 慣用句の暗示引用の例として、「爪の先はまっ黒で、これはどうやら物凄い黴菌の棲息地と思われ、間違って煎じて飲んだら」(井上ひさし『モッキンポット師の後始末』)という表現がある。「爪の先」の「物凄い黴菌」からどうして「煎じて飲んだら」などといった発想が生まれるのかという展開の不自然さがヒントになって、「爪の垢を煎じて飲め」という隠し絵が姿をあらわすのだ (中村 2002) 。 * 著名な文章の暗示引用の例として、聖書を引用元とした「右のホオを打たれたら、左のホオも出すといった態度では、今のサラリーマンは出世はできない。」がある (平井 2003) 。 * 赤塚 (1992) は、1964年の3月、当時の東京大学の総長であった経済学者の大河内一男先生が語ったとされる有名な言葉である「肥えたブタより痩せたソクラテスになれ」を挙げている。[[https://www.co-media.jp/article/8593)|2015年3月東京大学で行われた卒業式典での石井洋二郎氏のスピーチ]]によれば「これは大河内先生自身が考えついた言葉ではなく、19世紀イギリスの哲学者、ジョン・スチュアート・ミルの『功利主義論』という論文からの借用」である。同氏によれば原文は ”It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.”(満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスであるほうがよい。)である。 * 俳句の暗示引用の例として「発句は芭蕉か髪結床の親方のやるもんだ。数学の先生が朝顔やに釣瓶をとられて堪るものか。」という夏目漱石『坊っちゃん』の表現がある。これは、「朝顔に釣瓶とられて囉(も)らい水」という加賀千代の「千代尼句集」にある一句を連想させる。この小説は『ほとゝぎす』という俳句の雑誌に発表したという事情もあろうが、特に俳句をたしなまない一般読者にもその一句はよく知られていたので、裏にその句をふまえたこの表現は広く読者を楽しませてきた (中村 2007) 。 * 小説の暗示引用の例として、朝日新聞の1993年7月17日のコラム「素粒子」には「連立はすべて闇の中である。ある所は武村づたいの道でありある所は小沢に臨む崖である。」とあるが、これは島崎藤村の『夜明け前』を背景としている (中村 2007) 。 * キャッチコピーの暗示引用の例として、「くしゃみ3回、清酒0.3リットル」(日本酒造組合中央会,1969年)がある。これは三共が1956年以来使用し続けている馴染みのスローガン「クシャミ3回ルル3錠」を踏まえている (森 2012) 。 ===知識や教養が必要である=== 暗示引用は「表裏の二重性に気づくだけの予備知識や教養や常識などをそなえた読者を得て、はじめてその伝達効果が発揮できる。一般読者を想定した文章の場合、文面に透かしとして潜ませることばは、だれでも知っている事柄、あるいは、世の中に広く知られた作品の有名ない節である必要がある」 (中村 2007) 。逆に、あまり知られていない事柄を前提とした暗示引用は「クローズド・サークルにおける高級な遊戯」 (野崎 2002) ともいえるものになり、暗示引用される事柄に親しんでいる「共同体」に相手が所属していることを前提とした表現になる。暗示引用がどこまで通用するかは、相手が常識としている事柄によって変わる。常識が多様化すれば、同じ時代であっても通じにくくなる。例えば「共通の教養が期待されていた中世の知的階級における『本歌取り』は、映像の二重性それ自体がその一首の趣向として文学的価値を生み出したが、今ではそのような期待は薄い (中村 2007) と言えるだろう。 ===引用であることを示す場合と示さない場合がある=== 暗示引用は「多くの場合何かに言及していることが文面に明示されていないものをいう」 (市川 1940) 。つまり、その表現が何かの引用であることは、注釈されないことが多い。他方で、「引用であることを示すだけで,その出所などを特にことわらないレベルで他の言を引く」 (中村 2007) ことも暗示引用に含まれる。引用であることは分かるが、何を典拠としているかは明示されないという場合である。 つまり、暗示引用の「暗示」には次の2つの意味がある。第1に、引用していることを明示しないという意味、第2に、引用の典拠を明示しないという意味である。典型的な暗示引用は、この2つの両方の意味で暗示的である。 ==Functions== ===引用と同じ機能を果たす=== 暗示引用は「改行や引用符などによって引用範囲を限定していないだけでなく、それが引用であるということさえ示さず、原作の題もその作者の名も伏せてあり、まったく引用という形式をふんでいないが、暗示することで実質的に引用と似た表現効果をあげる」 (中村 2007) 。 ===聞き手・読み手の選別化作用を伴う=== 昔から知られている古典の中の章句や有名人の言葉は、歴史の淘汰に耐えてきたという意味で、それだけ多くの人が認めてきた言葉である。そのため「名文句を文章や手紙に引用したり会話の中にまぜこんだりすると、いかにも高い教養がありそうに見える」 (平井 2003) 。 しかし、物知りぶって特殊な本から引用すると、読み手にわからなかったり、読み手の反感をまねいたりすることにもつながる」 (平井 2003) 。暗示引用には「文面に巧みに仕掛けたことばのヒントを手がかりに、読者が文章の奥に潜んでいるものの正体を暴く」 (中村 2007) という謎解きに似た側面があり、わかる人にはわかるといった優越感を伴う、いわば聞き手・読み手を「選別」する、隠語のような作用をもつ場合がある。 野崎 (2002) は、この暗示引用の選別化作用について、次のように述べている。「引喩(アリュージョン)の選別化作用には、もっと否定的な側面もある。何でもそうだが、衰弱して用いられた場合である。『レトリック認識』の一節を借りれば、こういうことだ。《パロディが、ことばの意味を重層化し豊富化する遊びとしてではなく、仲間うちだけの意味のくすぐりあいとして機能しはじめることがある。衰弱したパロディは、その排除的な選別作用のせいで、環境と世代を小さく区切った閉鎖的な小世間を編成し、なれあいの目くばせともなりかねない》」 ===重層的な意味を伝える=== 暗示引用は、「有名な一節を暗に引用しながら独自の意味を加えることによって、重層的な意味をかもし出す」 (瀬戸 2002) 表現法である。「表の言述に別の作品の影をちらつかせて、文意の二重性、あるいは、読者が頭に思い浮かべる映像の二重性を誘う趣向である」 (中村 2007) とも言える。この点に関して、ガリペリン (1978) は、暗示引用は「本質的には,意味次元でのパラレリズムである」と述べている。暗示引用には2つの次元があり、「第2の次元は、第1の次元の意味をはっきり浮かび上らせるための、いわば、背景になっている。しかしこの背景は、それ独自の意味をもっている。そしてこの意味は第1の意味に対して無関係ではない」。 この暗示引用の効果について、中村 (2007) は国木田独歩『武蔵野』の表現を例として、次のように考察している。 「「突然又た野に出る。」の一文のあと、「君は其時、」と書いて行を改め、「山は暮れ野は黄昏(たそがれ)の薄(すすき)かな」と記してまた改行し、「の名句を思い出すだろう。」と展開する。そこには引用符こそ用いていないが、前後を改行してその句だけを一行にして独立させたので、引用範囲は明確に示されている。しかし、その一句の作者名は明記されていない。次行に「名句」と評価してあるので独歩自身の俳句とは考えにくい。事実、これは与謝蕪村の句である。作品『武蔵野』の発表された一九世紀末においては、一般読者にとってそれが蕪村の作であることは常識であったため、単に「名句」とするにとどめて表現のくどさを避けた、という可能性もなくはない。が、芭蕉の「古池や」の句とは違って、少なくとも現代の読者にはそこまで期待できないので、《隠引法》の例としておく。問題はこのように挿入した一句の効果である。まず、独歩が伝えようとしている武蔵野の光景が、この適切な一句を得て視覚的に具象化したことがあげられる。さらに重要なのは、そこに微妙に違う二つの映像が重なり、表現に厚みが加わった点であろう。蕪村の句がとらえた自然が、独歩のとらえた武蔵野と通い合うところがいかに大きく深くても、両者は決して同じではない。別の時に、別の場所で、別の個性がとらえた別々の風景なのだ。独歩の案内で武蔵野散策の文学的な歩を進めてきた読者は、突如として目の前に蕪村の世界が呼び出され、一瞬に消えてゆく思いがする。独歩の世界を近景とし、蕪村の世界を遠景とした二重の映像がひとしきり文学的空間をにぎわす。それはいわば濃淡二枚のタブローが文章に奥行を与える多重の表現現象である。」 (中村 2007) ===間テクスト性の利用=== 私たちが使う言葉のほとんどは、既に他の人が使ったことがある言葉であるという点で、言語使用は本質的に、他者の言説の再現であるという側面をもつ。野内 (1998, 2002) によれば、「『創造』と呼びならわされた行為は実は伝統との対話」であり、「自由な『引用』」であるという。野内は、テクストはあまたのプレテクスト〔前‐テクスト=口実〕を織りあげた「引用の織物」(宮川淳)と考えるべきであるとし、このことは、以下のようなジュリア・クリステヴァの「間テクスト性」(野内では「相互テクスト性」と訳されている)の概念に通じると述べている。 「すべてのテクストは引用の寄せ木細工のように〔として〕自己を組み立てる。すべてのテクストは他のテクストの吸収・変形である。」(「語、対話、小説」)「テクストはテクスト間の相互の置換、相互テクスト性である。一つのテクスト空間のなかで、他の諸々のテクストから借用された幾多の言表が交錯し、中和する。」(ジュリア・クリステヴァ「テクスト構造化の諸問題」) 暗示引用は、この間テクスト性を十全に利用した文彩であり、他者の言葉が背景となって、自分の言葉の効果を高める表現法であると言える。 ==History and Related Terms== ===本歌取り=== 本歌取りは、暗示引用の一例である (瀬戸 2002) 。 野内 (1998, 2002) は、本歌取りと引用(借用)の関係について、次のように述べている。「たとえば、ここに一編の現代詩があるとしよう。そして、その半分ほどが他人の作品からの『借用=引用』だと仮定する。現代の読者はそこに『独創性』を見るだろうか。恐らく、作品の出来映えとは別に『盗用』を云々するにちがいない。現代の読者は借川が作品の半分を占めていれば限度を越えていると感じ、『盗作』と判定する。近代文芸の特徴は作者の個性、作品の独創性を尊重(強調)することであるから、それは当然の結果だろう。しかしながら、作品の半ばが他人の作品からの借用でもそれを可とする文芸の伝統が、確かにあったのだ。私たちが考えているのは和歌の『本歌取り』の手法だ。」 (野内 1998, 2002) ===パロディ・パスティシュ=== パロディは暗示引用の一例とみなすことができる。暗示引用において、引用の仕方に風刺や批判の趣向を加えると,「パロディ」になる (森 2012) 。瀬戸 (2002) は、暗示引用が「諧謔(かいぎやく)と笑いに傾けばパロディーに急接近」すると述べている。「有名な、馴染みの映画やマンガのパロディは、単に注目を集めるだけではなく、笑いを誘って共感を強める。そして得られた批判的視点から、自己のマナーに対する態度を相対的に,客観的に見直す成果を挙げるのである。」 (森 2012) パロディの中で特定作品の画風や文体の模写に特化したものを「パスティシュ」と呼ぶこともある (森 2012) 。この意味で、パスティシュもまた暗示引用の一例である。 ===諷喩=== 野内 (1998, 2002) は、デュマルセを引用しつつ、暗示引用(=引喩)について次のように述べている。「引喩の語源は『ことば遊び』を意味する。デュマルセは引喩についてこんな説明を加えている。『引喩とことば遊びはまたしても諷喩と関係がある。諷喩は一つの意味を提示し、別の意味を意味させる。そのことはまさしく引喩にも大部分のことば遊びにも見られることだ。人は歴史や寓話や風習をほのめかす。時には言葉で遊ぶ」(デュマルセ『転義論』)。このように、暗示引用は諷喩と関係している。野内はさらに、次のように述べている。「諷喩はほのめかす対象を自分で作り上げる。いわば自前のほのめかしだ。それに対して引喩はすでによく知られている対象を利用する。いわば借り物のほのめかしだ」 (野内 1998, 2002) 。 中村 (2007) は次のように、諷喩と暗示引用(=引喩)の関係を論じている。「同じくほのめかす技法である《諷喩》との関係で言えば、《諷喩》が自ら作り出したその言語表現自体をヒントにして他の何かを連想させようとするのに対して、この《引喩》は、例えば秋刀魚(さんま)が不漁だと述べた新聞記事で「秋刀魚高いか小さいか」と書き、ひそかに借用した先行表現、この例では佐藤春夫の詩『秋刀魚の歌』の中にある「秋刀魚苦いか鹽(しょ)つぱいか」という文句をほのめかすところに主眼がある。すなわち、両者には、伝達したい内容をほのめかすか、趣向をほのめかすかという、表現機構上の違いがある」 ===引用法=== 中村 (1977) では、五十嵐力を引用しつつ、次のように引用法と暗示引用(=隠引法)を関係づけている。「引用であることを明確に示したものを『引用法』と呼び、それと断らずに自分の文章の中に組みこんだものを『隠引法』と呼んで、両者を区別する場あい(五十嵐前掲書)もある」 (中村 1977) さらに、ここでの引用法は「引用であることを明確に示したもの」であり、明示引用とも呼べるものであるが、明示引用と暗示引用の関係が、直喩と隠喩の関係と類似しているとされることがある。「引用であることを明言すれば直喩的になり、いわゆる隠引法のうち、文中に組みこまれたものは隠喩的、独立して置かれたものは諷喩的、というように、その引き方によって性質が違う。そして、引用の手つづき以外に言語表現形式上の特色がないので、直喩・隠喩・諷喩とは別に,それらと並ぶ比喩法の一種として立てる必然性は稀薄である」 (中村 1977) 。さらに、次のような指摘がある。「此の法は引用法を煎じ詰めたもので、二者の関係は隠喩対直喩の関係に似ている」 (速水 1988) 。 * [[https://www.fukirhetoric.com/example/allusion2.html|『ふき出しのレトリック』で調べる]] ==Examples in the Literature== * 古典の例で言えば、「羽をならべ枝をかはさむと契らせ給ひしに」という『源氏物語』の「桐壷」の巻の一節は、白居易の『長恨歌』の「句を下敷きにして、帝と桐壷の更衣との関係を、玄宗皇帝と楊貴妃との関係を背景にして描きだした。 (中村 2007) * 「路傍のむくげは馬に喰はれけり」という芭蕉の句も、「僅花一朝の夢」を頭においての作という。(中村 2007) * 「鬼貫は夜ぢふたらひを持ちまはり」という川柳も、「行水の捨てどころなき虫の声」という句作のあること、および、それが上島鬼貫の詠んだ句であることを読み手が知っていて、はじめて鑑賞できる作品である。(中村 2007) * 朝日新聞1992年10月17日夕刊のコラム「素粒子」に、「テレビに竹下派の出入りを看る/疑うらくは是れ暴力団の姿かと/頭(こうべ)を低(た)れて政治を思う」とあるが、これは李白の『静夜思』の暗示引用である。(中村 2007) * 朝日新聞1993年6月24日夕刊のコラム「素粒子」には「吾が輩は新生党である。反省はまだない。過去をどう清算したらいいのか頓と見当がつかぬ。」とあるが、これは夏目漱石の『吾輩は猫である』の暗示引用である。(中村 2007) * 朝日新聞1993年1月29日夕刊のコラム「素粒子」には「コノゲンキンヲウケテクレ、ドウゾタップリモラッテオクレ、『アリガト』ダケガ政治家ダ」とあるが、これは干武陵の『勧酒』の井伏鱒二訳の暗示引用である。(中村 2007) * 小沼丹の随筆『地蔵さん』は、「どこかのちっぽけな祠(ほこら)から、石の地蔵さんをこっそり失敬して来ようかと考えた」話で始まる。「地蔵さんの首を机の上に載せておいて、丸い頭でも撫でていれば、名案が浮ばぬものでもあるまい、と思った」らしく、地蔵の首だけ頂戴してやろうという気になったこともあるが、結局「面倒臭くなっ」て、実際には「実行するまでには至らなかった」という。その後、今度は「家の近くの五日市街道の道傍」に立っている石の道標を「失敬してやろうと思い立った」が、これは重くて「とても」一人や二人で動かせるものではない」し、仮に「首尾よく頂戴して来ても、我家の狭い庭に置いたら忽ち衆人の見る所となって穏かでない」と考え、「念のため、散歩がてら下検分したけれども、残念ながら見合せることにした」としぶしぶ断念する。そして、次に、「石には、右たなし、左こがねゐ、と彫ってあって天明年間に建てられたものである」とその道標について説明し、「僕は蕪村を想い出して、些か風流な気持ちになって帰って来た」と書いたあと、「蕪村を想い出したのは、一つには散歩の途中、小川の傍に野茨が咲いているのを見たからだろう」と展開する。この部分にいわゆる引用という形式こそ見あたらないものの、作者が連想しながら引用しなかったある一つの句が、読者との暗黙の了解となることを見込んで、この文章が展開していることは否定できない。道標と蕪村とがどうつながり、それと野茨とがどう結びつくのか、実際に書かれた文章だけを見ているかぎり、そういう文意の流れが納得できないからである。そういう点と点とが連絡し線となって展開するためには、読者の積極的な参加が必要となる。あやうく盗難の被害を免れたあの石の道しるべに刻まれた文字から、作者はまず、それが「天明年間に建てられたものである」と知る。そこから天明三年の暮れに世を去った与謝蕪村を思い出したかもしれない。「天明」からただちに「蕪村」と特定した背後には、この作家の日ごろの嗜好や教養などの下地が働いているにちがいないが、なぜ「蕪村」かと内省し、みずから連想の跡を振り返りつつ、「散歩の途中、小川の傍に野茨が咲いているのを見たからだろう」と記しただけで改行し、「野茨」と「蕪村」との関連を読者にゆだねたまま話題を転じてしまう。作者が前提とした一句が思い浮かばず、頭のなかで両者の結びつかない読者は片づかない気持ちのまま読み進めるほかはない。一方、「花いばら故郷の路に似たるかな」という蕪村の句が頭をよぎり、なつかしい気分を誘われる読者もあるかもしれない。蕪村で茨とくれば、「愁ぴつつ岡にのぼれば花いばら」の句が頭にひらめく読者はさらに多いのではあるまいか。随筆はそのあと、「白い襯衣(シャツ)の上に浴衣を着て、古ぼけた茶色の鳥打ち帽を被っている」「背の低い朴訥な感じの爺さん」が、「四角い風呂敷包を紐で肩から吊して、黒足袋を穿き下駄を突掛け」た格好で、道ばたの「ちっぽけな祠」の中に立つ「赤い挺掛(よだれかけ)を掛けた石の地蔵さん」と「一尺と離れない距離で睨めっこ」をしている姿を車の中から見かけた話に移る。とぼけた書き出しから、「爺さんと祠の四囲だけ時間の流が停止したように見え」る、こういう「ひっそり、ささやかな別世界」をちらりとのぞかせ、「何だか僕自身もその別世界に入りたい誘惑を覚えたが、わざわざ車を停める程酔狂ではない」と結ぶこの一編は、このように、そこに言語化されなかった特に「愁ひつつ」の句の文脈に支えられて読むとき、しっとりとした読後感を形づくるように思われる。(中村 2007) * 「亀屋忠兵衛、槌屋(つちや)の梅川。たつた今捕(と)られたと、北在所に人だかり。ほどなく取手の役人、夫婦を搦め引き来る。孫右衛門は気を失ひ、息も絶ゆるばかりなる。風情(ふぜい)を見れば、梅川が、夫も我も縄目の咎。眼(まなこ)もくらみ泣き沈む。忠兵衛大声あげ。身に罪あれば覚悟の上、殺さるゝは是非もなし。御回向(ごゑかう)頼み奉る。親の嘆きが目にかゝり。未来の障(さは)り、これ一つ。面(つら)を包んでくだされ、お情けなりと泣きければ。腰の手拭(てのごい)引き絞り、めんない千鳥、百千鳥。なくは梅川、川千鳥、水の流れと身の行方(ゆくへ)。恋に沈みし浮名(うきな)のみ、難波に。残し留まりし。」(近松門左衛門『冥途の飛脚』「新口村の場」)三百両の封印切り(横領)を犯した忠兵衛と梅川が駆け落ちし、大和の新口村で捕われた大詰め。「めんない千鳥」は子供の目隠し遊び詞章からの引き。千鳥鳴くに梅川の「鳴く」を掛けて、その梅川から「かわちどり」を引き出している。「水の流れと身の行方」はしれぬものという諺より暗示の文句も終わりを飾るにふさわしい。 (萩生 2008) * 鞠唄♪ふとひあなさん薩摩で御座る、島津藩に乱妨させる、ひとり萩さん下手に出やる、公家を一番おだてゝ見たら、御所でさわいで三条でくげて、公家めくにさわへ○させて、淀ではじめて軍に出し、寺のおしやうが大胆ふてき、よしやれ、ひかしやれ、首切らしやるな、敵の逃るはいとはせぬが、敵にむかへばすくはれぬ、まづ〳〵一たん勝ました、(三田村鳶魚『江戸の珍物』「稽古場の賑い」)徳川幕府の余命いくぼくもなしと見た島津・毛利二氏との対立を取り込んだ詞。騒動のいきさつを〈音彩〉と〈隠句暗示〉にのせてからかっている。 (萩生 2008) * 豊島園が1986年に展開した《プール冷えてます》の広告。浮輪をしたペンギンが右下に添えられた自っぽいスペースに,このコピーはいささか稚拙な書き文字で大きくレイアウトされている。それは,大衆食堂に掲げられた「ビール冷えてます」のポスターを連想させる。 (妹尾 2011) * 《若者よ,すべての電車は,としまえんに通じている。》(豊島園,1988年)のコピーは,「すべての道はローマに通ず」という諺を下敷きにしている。 (妹尾 2011) * 《ゴホンといったらカドカワノベルズ。》(角川書店,1986年)は,《ゴホンといえば龍角散》(龍角散,1953)の暗示引用。咳の「ゴホン」が「ご本」に概き換えられている。ヴィジュアルも暗示引用されているが,特に薬特有の注意書きを利用して,《よく読んでからご使用ください。》というヘッドラインのもと,作家を紹介する,という凝った構成を見せている。(森 2012) * 《くしゃみ3回,清酒0.3リットル》(日本酒造組合中央会,1969年)はもちろん,三共が1956年以来使用し続けている馴染みのスローガン《クシャミ3回ルル3錠》を踏まえたアピールである。(森 2012) * パロディを効果的に用いたキャンペーンに,帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が展開した公共マナーアピールのシリーズがある。/《帰らざる傘》(1976年)ⓐ/がその1作。マリリン・モンロー主演の映画『帰らざる河』のパロディ(パスティシュ)である。ヘッドラインがその題名のパロディであると同時に,ヴィジュアルもまた作中の最も有名なシーン,女優がギターを抱えて歌うシーンを念頭に,そのギターを傘に置き換えて表現した。この二重の暗示引用を通じて,訴求点への印象を強めたのである。(森 2012) * 「歌よみは下手こそよけれ天地の動き出だしてたまるものかは」(宿屋飯盛)この歌の面白さは強調部分がなにを踏まえた表現なのか分からないとちっとも伝わってこない。しかし、問題の表現から『古今和歌集』序文の次の有名な一節を思い浮かべられる読者はおもわずにんまりとすることだろう。「力をも入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせ、男女(をとこをんな)の中をもやはらげ、たけき武士(もののふ)の心をも慰むるは歌なり。」 (野内 1998, 2002) * 「私の少年時代は大阪の南の郊外だった。その頃はちょっと歩けぽ川があり、池があり、野があった。〔……〕いまはどうだろう。ウサギ追いしかの山は団地群となり、小ブナ釣りしかの川は埋立ててコンクリの皮を張られてハイ・ウェイとなった。野、池、草むら、土堤(どて)は消え、陽炎をたてる堆肥も香ばしい匂いをたてる藁塚も消えた。キの字をぼらまいたような晩夏のトンボの乱舞も消えたし、キン、コン、カンと音をたてそうな冬の夜もないのである。空と土と水にひしめき、ざわめいていた、あのおびただしい生はどこへ去ったのだろう。」(開高健『開口一番』) (野内 1998, 2002) * むかし「三種の神器」という言葉が流行った。その当時はまだ高価で主婦の憧れの的であった電気洗濯機、電気冷蔵庫、テレビのことだ。昭和三〇(一九五五)年頃のことである。この言い方は、歴代の天皇が皇位のしるしとして受け継いだ三つの宝(鏡、剣、曲玉(まがたま))を踏まえている。 (野内 1998, 2002) * もう少し新しい例をあげれば「花鳥風月」か。花鳥風月といえば風流の対象とされる代表的風物を表す成句だ。この古めかしい成句が若者の会社選びの四つの条件を表す言葉に変身する。「花」は花形産業、「鳥」は長期休暇(長=鳥は掛けことばで、休暇が多くとれること)、「風」は社風、「月」は月給。見られるとおり、ことば遊びもまじえながらの見事な引喩だ。この手の引喩をさらに挙げれば「四天王」「ご三家」「昭和元禄」「今太閤」など(その由来がはっきりしない人は辞書などで確認してほしい)。 (野内 1998, 2002) * 「げにや人の親の心は闇(やみ)にあらねども、子を思ふ道に迷ふとは、今こそ思ひ白雪(しらゆき)の、道行人(みちゆきびと)に言伝(ことづ)てて、行方(ゆくへ)を何(なに)と尋ぬらん。聞くやいかに、上(うは)の空(そら)なる風だにも、松に音(おと)する習ひあり。」(謡曲「隅田川」)東国に連れ去られたわが子を尋ねて、物狂いとなった母親が語り出す台詞。「聞くやいかに……」は宮内卿の歌の引用であり(その歌意は下に挙げる)、他にもこの台詞は次の二首を踏まえている。「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(藤原兼輔)〔親の心は闇のように分別をもたないわけではないけれども、子供を思う道には分別を失って迷ってしまうことだ〕、「春来れば雁かへるなり白雲の道ゆきぶりに言(こと)やつてまし」(凡河内躬恒)〔春が来たので雁は北の国へ帰るのだ。雲路を行くついでに言づけを頼もうか〕 (野内 2005) * 柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の本歌をまず見ましょう。「足引きの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む」これに対する藤原定家(ふじわらのていか)の新歌はこうです。「ひとり寝る山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床の月影」本歌取りとは、本歌を下敷きにして新しい意味を造形する技法です。山鳥のつがいは夜べつべつに寝るといわれ、ひとり寝の象徴の役割を演じます。霜は月光の比喩。そうすると、定家の歌の意味は、山鳥の寝姿にたとえて、ひとり寝の自分の床に月の光が霜のように散っている、というものです。「山鳥の尾のしだり尾」は、本歌も新歌も同じですが、表現が少し重複しています。しかし、これが秋の夜長の感じをいっそう強めているのかもしれません。 (瀬戸 2002) * 井上ひさしの『プンとフン』に登場する怪盗ルパンならぬ怪盗「俳助」は、盗んだあとに俳句や和歌を残すことからついたあだ名で、その代表作はつぎのものです。「盗めども盗めどもわが暮し楽にならざるじっと手を見る」これは、たしかに「盗ッ人稼業(かぎよう)の生活の苦しさがよく出ている」が、「石川啄木の盗作」です。もとの歌は、こうです。「はたらけどはたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざりぢつと手を見る」(『一握の砂』) (瀬戸 2002) * 筒井康隆の小説『文学部唯野(ただの)教授』の一節を読みましょう。牧口は一年間のフランス留学を二か月で切りあげ、こっそり日本に逃げ帰ってきました。それを知った親友の唯野は、すぐ様子を見に牧口の自宅を訪ねます。途中から、牧口は聞いていない。うつろな視線を唯野の背後の本棚にさまよわせている。「おい。どうかしたの」「友がみな、われよりえらく見ゆる日よ。花を買い来てしたしむ妻もおれにはおらんのだ」「しっかりしろよ。おい」もとの啄木の歌はほとんどそのままです。「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買い来て妻としたしむ」(『一握の砂』) (野内 2000) * さだまさしの「関白宣言」は引喩が二重にも三重にも仕掛けられた曲である。意外なことだが、この曲は作詞・作曲を担当したさだの証言によれば「君といつまでも」に対するアンサーソングだという。まずここに引喩が指摘できる。つまり「関白宣言」はラブソソグということになる。ただ両作品には表現方法において大きな違いがみられる。ストレートに、あるいは余りにもあっけらかんと愛を告白している「君といつまでも」に比べると「関白宣言」はかなり屈折していて、手の込んだ作品になっている。しかしながら「君といつまでも」とは別の意味合いで女性に対する思いの丈を開陳した日本には珍しい男のラブソングだとはいえるだろう。この曲は最初は「王手」と題され「関白宣言」は副題だったことからも分かるように「プロポーズ」の歌である。女性の心をつかむために「王手」をかけた歌なのである。歌い出しと歌の最後とにそのことがよく示されている。「おまえを嫁にもらう前に言っておきたい事があるかなりきびしい話もするが俺の本音を聴いておけ」「忘れてくれるな俺の愛する女は愛する女は生涯お前ひとり忘れてくれるな俺の愛する女は愛する女は生涯お前ただ一人」この最後の愛の告白にたどり着くまでが長い。建て前と本音を使い分けた韜晦(とうかい)的な表現法が採られているのだ。(野内 2000) * 白楽天の『長恨歌』中の一部を借りた「羽をならべ枝をかはさむと契らせ給ひしに」(『源氏物語』)や,函谷関の故事を引いた「夜をこめてとりの空音ははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ」(清少納言)のように,事がらだけを引くものと,前にあげた「明治は遠くなりにけり」の後側のようにことばをも合わせて引くものとに分ける場あい(島村前掲書参照)もある。 (中村 1977) * 「世の中には、肥えたソクラテスもおれば、痩せたブタもいるもので……というせりふは、大河内東大総長の、「肥えたブタより痩せたソクラテスになれ」と言った言葉をふまえて味わいがでてくる。 (赤塚 1992) * The Price of Peace. (Newsweek, 3/26/'79)は、'The Peince of Peace'(キリストのこと)を下敷きにしている。 (牧野 1980) * Spy-in-the-sky flap. (Newsweek, 4/23/'79)は、'Pie-in the sky' (空中楼閣のこと)を下敷きにしている。 (牧野 1980) * Salvador : Muder at thr Cathedral. (ibed 5/21-/79)は、'Muder in the Cathedral' (T. S, Eliotの詩劇の名前)といった下敷きがあるだけである。 (牧野 1980) * 一九一八年、大阪で関西記者大会が開かれた時のことである。その様子を、「大阪朝日新聞』が「『白虹(はっこう)日を貫けり』と昔の人が眩いた不吉な兆が黙々として肉叉(注・食器のフォークのこと)を動かしてゐる人々の頭に雷のやうに閃く」と書いた。これが新聞紙法四十一条の「安寧秩序を紊(みだ)すもの」として発売禁止になった。同社は社長を替え、編集局長や長谷川如是閑らの論説陣も辞任して事態の収拾をした。これを「白虹事件」呼んでいるが、この記事には引喩法が用いられている。白い虹が太陽を貫いてかかっている(白虹)のは不吉の兆とされるが、また「君主に危害が及ぶ兆候」をもさすので、この事態となったわけである。出典は『史記』。時の寺内内閣への批判を強めていた『大阪朝日』への弾圧の口実であった。 (速水 2005) * 一九三四年、鳩山一郎文相が樺太工業汚職事件の収賄容疑で問題になったときに、「全く私は明鏡如止水の心持ちで居りまして」と答弁したことから「明鏡止水」が流行語になったという。「明鏡止水」は、曇りのない鏡と静かな水のように澄んで落ち着いている状態を表す、『荘子』の言葉の引喩法である。鳩山文相は、噂されるようなことはないと弁明したが、結局辞職した。しかし三年後には、答弁のとおり無罪の判決があった。この後、「明鏡止水」は政治家が身の潔白を弁明するときに用いる常套句になったといわれる。 (速水 2005) * 「ほたるの光、窓の雪。書よむ月日、重ねつつ。いつしか年も、すぎの戸を、明けてぞけさは、別れゆく。」「ほたるの光、窓の雪」は、古代中国の晋の車胤がほたるの光で、また孫康が窓の雪の反射で書物を読み、貧乏に負けず勉強した故事の引喩。 (速水 2005) * 「ようつにいみじくとも、色好まざらむ男は、いとさう〴〵しく、玉の盃の当なき心地ぞすべき。」(吉田兼好『徒然草』三段)。すべての面ですばらしい人であっても、恋愛の情趣のわからないような男は大変ものたりなく、立派なさかずきに底がないような気がするにちがいない。「玉の盃の当(そこ)なき」は、肝心な点が欠けていることの隠喩で、『文選』からの引喩。「心地ぞすべき」は係り結び。 (速水 2005) * 「たった一日のうちに、三回も、「ジュをジと発音する」例に出会ったわけで、こんなことはじつに稀です。」(井上ひさし『にほん語観察ノート』)「こんなことはじつに稀(まれ)です」は、宮沢賢治の童話「革トランク」にくり返し現れるフレーズで、引喩。著者独自の隠し味である。 (速水 2005) * 「旅は道連れ、仲良く行きましょう」とか「彼は何を言われても、馬耳東風で平気だよ」「出る杭は打たれるだ、あまり出しゃばらないほうがいい」のように文中にとけ込ませた隠引法である。 (速水 2005) * 「右のホオを打たれたら、左のホオも出すといった態度では、今のサラリーマンは出世はできない。」(「文章の書き方百科」[第三部効果的な書き方〔四〕修辞法3現代の修辞法の特色]【1文の表現の修辞法】〔(8)引用法(allusion)〕) * 「急がば回れということもある。すぐに結論を出さないで、まず必要な情報を集めて、冷静に判断をすることがたいせつだ。」 (平井 2003) * 「結果よければすべてよしというとおり、とにかく成功しなければ話にならない。」 (平井 2003) * “Space, the final frontier.”(「最後に残された未開拓領域、宇宙」)というTVシリーズ『スター・トレック』の台詞は、アポロ計画を提唱したケネディ大統領が宇宙開発の重要性を米国人のフロンティア精神に引っかけて語った言葉を引用したものであった。 (菅野 2007) * ポール・ヴァレリーは「言葉遣いと荷物は軽いほどよい(Entre deux mots, it Taut choisir le moindre.)」と言った〔Tel Quel I, Littérature.「災難と荷物は軽いほどよい(Entre deux maux, it faut choisir le moindre.)」ということわざをもじったもの。原著はpréfere le moindreとなっていたので訂正した〕が、これは地口を引喩(allusion)に接合したわけだ。 (ルブール 2000) * 「一冊の手帳紛失を隠蔽するために、二十九冊の手帳を盗んだ」という動機が解明されるところで、わざわざ作者はチェスタトンの名を書きつける必要はないし、また出典を明記する義務もない。「賢い人間なら木の葉をどこに隠すか」という命題は、いわば知っていて当然の常識として暗示引用されているのだ。読者がそれを知っていれば「こういう応用の手があったのか」と楽しみが増えるし、また知らなくてもさしつかえない処理はほどこされている。 (野崎 2002) == References == - 赤塚行雄 (編) 1992. 『修辞学ってなんだ!?―レトリック感覚で世の中を見直せば―』 ビジネス社. - 市河三喜 (編著) 1940. 『研究社英語学辞典』 研究社. - I. R. ガリペリン. 1978. 『詩的言語学入門―言葉の意味と情報性―』 磯谷孝訳. 研究社. - 菅野盾樹. 2003. 『新修辞学―反〈哲学的〉考察―』 世織書房. - 菅野盾樹 (編) 2007. 『レトリック論を学ぶ人のために』 世界思想社. - 瀬戸賢一. 2002. 『日本語のレトリック―文章表現の技法―』 岩波書店. - 妹尾俊之. 2011. 『広告プランニング―レトリック理論による実践アプローチ』 中央経済社. - 中村明. 1977. 『比喩表現の理論と分類』 国立国語研究所, 秀英出版. - 中村明. 2002. 『文章読本笑いのセンス』 岩波書店. - 中村明. 2007. 『日本語の文体・レトリック辞典』 東京堂出版. - 野内良三. 1998. 『レトリック辞典』 国書刊行会. - 野内良三. 2000. 『レトリックと認識』 日本放送出版協会. - 野内良三. 2002. 『レトリック入門―修辞と論証―』 世界思想社. - 野内良三. 2005. 『日本語修辞辞典』 国書刊行会. - 野崎六助. 2002. 『ミステリを書く!10のステップ』 東京創元社. - 荻生待也. 2008. 『文彩百遊―楽しむ日本語レトリック』 遊子館. - 速水博司. 1988. 『近代日本修辞学史―西洋修辞学の導入から挫折まで―』 有朋堂. - 速水博司. 2005. 『大学生のためのレトリック入門』 蒼丘書林. - 平井昌夫. 2003. 『何でもわかる文章の書き方百科』 三省堂. - 牧野成一. 1980. 『くりかえしの文法―日・英比較対照―』 大修館書店. - 森雄一. 2012. 『レトリック 学びのエクササイズ』 ひつじ書房. - オリヴィエ・ルブール. 2000. 『レトリック』 佐野泰雄訳. 白水社. == Examples in the Corpus == {{count>category:allusion&ex}} {{topic>category:allusion +index:ex}} {{tag>index:category category:allusion }}